国指定天然記念物。昭和初期までは関東地方最大のヤマザクラとしてその名を全国に響かせていました。桜博士三好学の「日本一のシロヤマザクラ」という折り紙つき。別名の「源八桜」は、三好学と一緒に写真に写る斎藤源八氏に由来。葉芽は赤茶で黄緑に変化、蕾は淡紅で咲くと中輪の白花。現在主幹は枯れて、不定根やひこばえにより枝が再生中。このひこばえによるサクラの代替わりは、全国の天然記念物のサクラでも多く見られるようになってきました。葉芽が赤茶ではなく最初から黄緑が強い年があります。近年樹観が巨大になってきており、通常のヤマザクラとは違い、別格の勢いを感じます。戦争に行った息子の源之亟さんを思い、斎藤家後継者に向けて、戦時中に子之太郎さん(源八さんの息子)が記した『伝承記 文部省指定天然記念物 大戸の桜』(戦時中・昭和19年~20年頃)には、八幡太郎こと源義家公がお手植えされたことや、水戸藩二代藩主徳川光圀公が度々観桜に訪れ、茶室「桜雲」で接待したことなどが記載されています。客間の襖には「水戸八景」と「正気の歌」が描かれており、斎藤家は代々水戸学の朗誦(ろうしょう)に精通していたとのこと。取材当時桜守の斎藤おばあちゃんから、朗誦の音調を記録した『水戸學朗誦文集』をいただきました。日本国民は水戸学的な精神気分を持ち続けていなくてはならないというのが、源之亟さんの思いだったそうです。
『茨城県史蹟名勝天然記念物調査報告書』(昭和13年)
「本樹は赤芽の山桜の老大株にして、約3反歩の広場の中央に立ち、幹枝の腐朽せる部分少なからず。根元より大小多数の枝を出し、其中北側及南側の二大枝は上方に伸び、共に支幹を成せるが、北側の枝は地上約6mにして折れたり、全株の根元の周囲約10.4m、地上1.5mの幹囲約9.5m」
『水戸學朗誦文集』(昭和46年・水戸弘道館正統派朗誦正声保存会・会長 斎藤源之亟)
序文
この写真の大桜は、昭和七年七月二十三日文部省指定の天然記念物にて、徳川光圀公遺愛の大戸の大桜(一名源八桜)と称す。斎藤源之亟宅地内に氏神のご神木として繫茂し樹齢七百年以上にて今は老朽して昔日のおもかげはないが、昔水戸黄門様はこの桜をことの外に愛されて、毎年花見に来て、馬術、弓術の訓練、終って詩歌を吟じ、今も矢場の跡の土塁がある。光圀公は常州太田、西山荘に移住してからも「春雨をついて駒に鞭ち打ちて大戸の桜を見る」と誌し「月の夕花の朝酒を酌んで意に適すれば誌を吟じ情を放す」とは、この大桜なりと去う。
正気歌解説(一部抜粋)
光に充(みち)る皇統連綿たる神国日本は、風光自ら明媚、山紫水明の地、春風大地をゆすぶれば、パッと開く萬朶(ばんだ)の櫻花。櫻は日本の名花で、櫻咲く国の名は世界に雄を稱(しょう)するに至った。櫻花は淡紅嬋妍(たんこうせんけん)にして、邪気なく俗気なく、自ら端麗気品に富み、爛漫と咲き誇る景趣。未練なく一瞬に散る英気は、わが国民の理想と合致し、衆花の比類を見ない。わが国固有の心をそのまま開く桜の気性、人に正気宿らば櫻花の如く発(ひら)き、国に正気満つる時は、萬朶の櫻花咲き誇ると同じく国力も充実し、国運愈々隆盛(こくうんいよいよりゅうせい)となるのである。
「月の夕 花の朝、酒を酌んで意に適すれば、詩を吟じ情を放す」
江戸時代の儒学者である朱舜水(しゅ しゅんすい)の言葉です。名所や四季の美しさを愛で、気の向くままにお酒を楽しみ、詩を詠んで心を解放するという、非常に風流で悠々自適な境地を表しています。朱舜水が徳川光圀公に宛てた手紙(『義公論語』などに収録)の中で、自身の生活態度や理想の心境として以下のように綴られています。
月の夕、花の朝、酒を酌(く)んで意に適すれば、詩を吟じ情を放す。聲色飲食(せいしょくいんしゅく)、其の美を好まず。第宅器物(ていたくきぶつ)、其の奇を要せず。有れば則ち有るに随(したが)って楽胥(らくしょ)し、無ければ則ち無きに随って晏(あん)たり。
この名言は、物質的な贅沢や完璧な環境(立派な家や珍しい道具など)を求めるのではなく、今あるものに満足し、自然の風情に浸る心の豊かさを大切にする人生訓です。
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