開花時薄紅色に染まるカスミザクラの古木。このサクラには桜姫という民話があります。今から1300年前、蘇我入鹿(そがのいるか)の反乱により一族を滅ぼされ東国に落ち延びた人に、山背大兄王(やましろのおおえおう)の御子「麿王」がいました。聖徳太子の孫にあたる麿王には心を許し合っていた桜姫という女性がいましたが、その女性に自分が落ち着く先を「東国、山の東、水の里」とだけ言い残して行きました。残された桜姫は麿王が忘れられず、楓という侍女を連れて御子を捜し歩きました。最終的に「筑波山の東、霞ヶ浦の里」である出島村にやってきましたが、麿王に会うことは叶いませんでした。桜姫は出島村の人々に助けてもらい、庵を結び、そこで聖徳太子像を彫って麿王の無事を祈りました。後に桜姫の墓地にサクラとカエデの木が植えられました。現在カエデは枯れてヤブツバキになっていますが、ツバキの枝に支えられる形でサクラの古い枝が残っています。ツバキがなかったらサクラはとうの昔に枯れていたでしょう。霞ヶ浦の名称由来に、筑波山塊に咲くサクラが霞(カスミ)のようだから霞ヶ浦と呼ばれるようになったという説があります。1300年前は霞ヶ浦は筑波山のふもとまでありましたので、この説は有力ではないでしょうか。また霞桜の名称由来も同様で、山々に咲く風景が霞のように見えることから名付けられたといいます。桜姫の民話とこの霞桜には、色々思いを巡らせる魅力があります。近くには「真珠院」というお堂があり、聖徳太子像が奉られています。
※令和3年に伐採
0コメント