茨城県内最長寿のヤマザクラ。推定樹齢750年、根周り10m、樹高10m。別名、葦穂の種蒔き桜。吉生の山桜。『茨城懸巨樹老木誌・下巻』(昭和15年・関右馬允)に掲載されている100年前の写真には、巨大な主幹が写っています。
約100年前に日立入四間村の関右馬允によって撮影された写真が残る県下最古級の老桜。樹観は全国の同年代の桜に見られる特徴と似ており、主幹は欠落していますが、不定根やひこばえにより再生を果たしている状態です。花付きは旺盛で、白い花に黄色い葉芽が特徴。 茨城町大戸の桜(推定樹齢500年・国指定天然記念物)と似ていますが、神生家の殿桜は複数の支幹が健在であり、その生命力に驚かされます。葦穂の種蒔桜という別名は、この地域が1955年まで葦穂村だったことに起因します。村名の由来は筑波山塊の一部である「葦穂山(足尾山)」にあります。古代から神聖視されてきた山のひとつです。種蒔桜とは、この桜がこの地域の農家さんの暦になってきたことの証明です。温度計やカレンダーがない時代に、種蒔きや苗代のタイミングを見定めるために、野鳥の鳴き声やヤマザクラの花が役立ちました。桜が咲けば霜は降りない、さあ種蒔きだという目安になったのです。 取材当時86歳になるというご主人に興味深いお話を伺いました。神生家に代々伝わる伝承は、必然と殿桜の歴史を裏付けるものだと感じました。また逆に殿桜の存在は神生家の歴史そのものであるということです。 非常に珍しい神生という名字ですが、これは平安時代この地に根ざした国司(こくし)もしくは郡司(ぐんじ)が由来ではないかとのこと。また、ご主人のお名前「彦兵衛」は神生家初代である「神生彦兵衛」と同じ名前が付けられているそうで、これは神生家に伝わる伝承、いわば家訓を後世につなぐ意味があったのだといいます。彦兵衛とは「兵を率いて皇(彦)を衛る」という意味があり、神生家にとって大切な名前を付けてもらったですよとご主人。 平安時代、八幡太郎こと源義家が4万騎の軍勢を率いてこの地に駐留した際、黄金100万両を埋めて南へ進軍した。おそらく帰りに財宝は掘り起こされただろうが、まだ殿桜の下には財宝が埋まっているかもしれない、しかしまさか桜を枯らすわけにはいかないので掘ることはできませんと。この話、八幡太郎義家の伝承は、南に位置するかすみがうら市の四万騎ヶ原、四万騎農園という広大な農地の伝承とつながるお話です。小美玉市羽鳥には同じく八幡太郎義家が進軍した道「五万堀」が残っており、水戸市には十万の群勢が駐留した「一盛長者」の伝承があります。さらに、常陸太田市瑞龍町の旌桜寺では八幡太郎義家が旗竿をさして芽吹いた「旗桜」が3代目として受け継がれていることや、八幡太郎義家がお越しになった腰掛石が残る「お越し場の山桜」などがあります。 当時神生家ではその証として正一位稲荷大明神を敷地内に祀ったといいます。また、お庭にはご先祖が江戸で交流のあった甲州のお殿様から苗木をもらって渋柿に接いだとされる、推定樹齢400年の柿の木(市認定保存樹)があります。稲荷大明神の奥には推定樹齢400年の栃の木(市認定保存樹)があり、神生家では代々当家の主婦が家伝薬として栃の実を原料とした口内薬を製法している。これらの巨樹も神生家の歴史を物語る生き証人的存在なのです。 室町時代以降神生家は八百石の郷士であったが、慶長5年関ヶ原の戦いの折に、佐竹氏によって焼き討ちにあった。これは佐竹氏による藩内の有力者の力を削ぐための焼き討ちで、神生家以外にもたくさんの豪農の家が被害にあったそうで、神生家は事前に避難していたことから命は助かったものの、その後家を復興させるために大変な苦労があったと。このことは絶対に忘れてはならないとして、神生家では現在もお正月の三が日は入浴せずに過ごすのだといいます。誰もが気を休めるお正月であっても、決して油断してはならないという教訓です。現在も一万坪の敷地を有する神生家。長い歴史の中で、確実に受け継がれる史実。ご主人はキノコの菌類研究者として、農業をやっている人で知らない人はいないほど有名な方。現在菌類の仕事は息子さんに代替わりして、ご主人はもっぱら畑と山の手入れに汗を流している。86歳とは思えないほどお元気です。よく来てくれたね。この殿桜はとても貴重なもので、多くの人に知ってもらいたいと語るご主人。巻尺をお借りして、根周りを測らせてもらいましたが、ゆうに10mはありました。現在は折れてしまった主幹はかなり太かったそうですが、ツタウルシが密生していて、ご主人が学生の頃に枯れてしまったそうです。現在も幹には様々な植物が着生しています。それと、道の方まで伸びていた太い枝(支幹)は約30年前に折れてしまったそうです。「朝陽射す 夕陽輝く 大桜」 この歌は殿桜の所有者である神生家に伝わるものです。殿桜は昔は遠く柿岡の町中から見えたそうで、まさに大桜の名の通りだったということです。
神生家の殿桜が紹介されている文献
『茨城縣巨樹老木誌・下巻』(昭和15年・関右馬允)
『日本老樹名木天然記念樹』 (帝国森林会・昭和37年)
『茨城桜見立番付』(昭和58年・川上千尋)
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